毒親にて思うこと
お世話になります。カウンセラーの松島です。
「毒親」という言葉は、すっかり世間に定着したようです。
私の面談にも、「毒親と離れたい」というご相談が後を絶ちません。
「子ども」というものは、とても「けなげ」です。
どれだけ親に罵られ、否定され、叩かれても、子どもは親を愛します。
子どもが大人になり、自身が親から虐待を受けていたと気付き、親と距離をおきたいと考えますが、
「親が自分のやったことを認め一言謝ってくれたら許したい」
そんな「けなげな子ども」は、大人になった私たちの身体のなかに今でも存在しています。
私は「毒親」という言葉は苦手です。
どんな人であれ、私の大切なクライアントさんを産み育てた人。
簡単に「毒親」と一言で片付けたくはありません。
また家族心理を扱う立場として、親にもなんらかの事情があって、毒親になったのだと想像できます。
しかし残念ながら、毒親は存在します。
成人してもなお子どもを罵倒する。
子どもにお金の無心をする。
子どもの生活に踏み込んでくる。
子どもより優位に立とうとする。
親との関わりのなかで成人してもなお、子どもは生きづらさを抱えていきます。
親から離れたいのに離れられない。苦しいのに離れられない。
これは典型的な「共依存」の形態です。
共依存傾向のある人は、「私」を主語にして話すことが苦手です。
いつも親や他者の顔色ばかり見て生きてきたので、自分中心に物事を考える力がありません。
いつも誰かの指示や許可がなければ、行動ができません。
支配的な親に育てられた人は、結婚相手もまた、支配的な人を選ぶ傾向があります。
支配が「親」から「夫」へ移行し、DVモラハラに巻き込まれます。
共依存傾向の人は人生評価が低く、自分が幸せになるイメージを持っていません。幸せになることをあきらめています。
毒親と離れるタイミングがやってくる
モラハラ夫から離れることを考える
しかし、行動できない。
共依存者にとって「幸福」は未知の世界。知らない世界は「怖い」。
一方「不幸」には慣れている。不幸のなかでも何とか生きてこられた。
だからこのままで、いい。
「他者に支配された人生、これが私の人生」と言わんばかりに。
幸福になれ、あなたの人生を生きろ、なんて、
そんな高レベルなこと、私は言わない。
私は、ただ
不幸になる必要はない
わざわざ苦労を背負う必要はない
と、伝えたいだけ。
わざわざ苦労を買っている人は
幸せの道を選ぶ勇気がないだけ
幸せになる、ということは、
勇気がいること
人は幸せを目の前にすると臆病になる。
幸せになることは、不幸に耐えるより勇気のいること、だから。
あなたのなかにいる「けなげな子ども」を幸せにしてあげませんか。
「けなげな子ども」を幸せにできるのは、親でもなく、夫でもなく、
「勇気あるおとなのあなた」です。
